8月31日(土)夜。
「やさいの日」にRural Learning Network~農の学び場~第10回のセミナーを開催しました。
会場は、篠山市日置にある江戸時代の庄屋屋敷を改修した複合施設、sasaraiさんをお借りしました。「青茄子の押しずし」や「篠山産きたあかりのピュレ」「トマトと蜂蜜のドリンク」など今回のテーマに合わせたお料理も工夫いただきました。
参加者は農家の方はもちろん、流通に関わっておられる方、今年に入ってから篠山に移住された一般市民の方などさまざま。ルーランで大切にしたいことの一つは「多様性」ですので、これからもご経験や所属を超えたつながりの場になればと考えています。
■■第1部セミナー「種と在来」
今回のテーマは「地域の種をつくる:在来種を探し・守り・活かすには?」でした。伊藤一幸さん(神戸大学農学部教授)・中塚華奈さん(NPO法人食と農の研究所)のおふたりに話題提供をしていただきました。
まずセミナーに先駆けて中塚雅也さん(神戸大学農学部)から今回の趣旨説明があり、「そもそも在来種、在来作物とはなにか」の勉強をすることと、「篠山や自分たちの地域でそれを守っていくためにどういった方法があるか」を考える場にする、という2つの目的が説明されました。
〇在来作物とF1種
第1部は「在来作物」の定義、F1種、種とりの方法や在来作物保存の取組についてのレクチャーです。
現在流通している野菜の多くは「F1種」(交配種・雑種第1代・first filial generation)と呼ばれる種から栽培されたものです。F1種とは、異なる形質をもつ親を交配させて「良いとこどり」をしたもの(たとえば虫に強く形のよい白菜と形は悪いが味はよい白菜を親とする等)。F1世代=第1代目には同じ形質ものが安定的に収穫できるが、その次の世代には親世代の形質の影響が発現しばらつきのある収穫になります。
同じような形や味のものができ、同じような生育速度であるため、出荷作物に向くというメリットがあるわけです。
一方の「在来作物」ですが、固定的な定義はないそうです。
山形在来作物研究会では「ある地域で世代を超えて栽培されているもの」となっており年限の決まりはありません。「栽培者自らの手によって種とりや繁殖が行われて」いて、「特定の料理や用途(儀礼・祭礼)に使われる」となっています。
ほかにも日本有機農業研究会では上の定義に加え「概ね30年以上」つくり続けられてきた作物種や品種となっています。
また農林水産省では「伝統野菜」という呼称をしており「その土地で古くから作られてきたもので、 採種を繰り返していく中で、その土地の気候風土にあった野菜として確立されてきたもの」と説明します。事実上「在来作物」と同義語と言えそうです。
F1種と違い、生育速度にばらつきがありますが、少しずつ収穫できるという意味では、家庭菜園、自給にはメリットだと考えることができます。
海外では「エアルーム」(Heirloom)と呼ばれている例もあるとのこと。
「先祖代々受け継がれていくもの」「家宝」と訳される言葉ですが、わたしたちが「在来作物」「伝統野菜」と呼んでいるものと同じものをさしています。ただし(国際的な基準があるわけではないですが)「50年以上栽培されているもの」をいうという説明がみられます。
〇在来作物を伝承する主体
さて、ではどういった主体が「在来作物」「伝統野菜」を守っているのでしょうか。
おとなりの大阪府では「なにわの伝統野菜」という認証制度をとっています(「概ね100年前から大阪府内で栽培されてきた野菜」など3つの基準があります)。
こういったさまざまな「在来作物」の定義があるわけですが、中塚華奈さんは「在来作物」の価値として3つの要素があると説明されていました。
一つは「由来や歴史的位置づけ――誰がいつ持ち込んできた?」、二つめは「風土や環境になじんだ栽培技術――どんな風につくっている?」、さいごに「地域の食文化との関連――どうやって食べている?」。そしてそこにまつわる物語が重要だといいます。
また、それを守っていく、伝承する主体として3つのステージがあるといいます。
1)農家自身(自家採種)
――その農家さんのネットワークとして日本有機農業研究会の種苗交換会や各地域の在来作物の会など
2)種苗店による採種
――固定種・在来種を扱った種苗店リンク
3)農業生物資源ジーンバンク(NIAS Genebank)
――国による保存
〇種のつくり方、つなぎ方――わたしならではの作物づくり
では、すでに30年、50年、100年培われたものしか扱えないのでしょうか?
"いま"のわたしたちが「在来作物」に関与することはできないのでしょうか。
いえ、在来の種をつくりはじめるということが可能です。
またF1種からの種とりをすることも可能だとの説明がありました。F1種を育てて、同じ形質の作物の種を取り続けていれば、自家受粉できるものであれば7~8年で在来の種をとることができるといわれているそうです。
自分の好きな形、色、味を残して「わたしの種」を残すこともできますし、地域でこれを残していこうと決めれば、みんなでつくって種をとっていくで「在来作物」をつくることができるそうです。
〇在来作物継承に必要なこと
さいごに継承に必要な3つのポイントが示されました。
まずは「在来作物の価値を地域で合意すること」。知的財産として、地域シンボルとして守っていこうと地域で考えることが重要です。そして「地域住民・種とり人のココロ&種のつながり」。つくることや種とりを楽しみとし、種を交換するなど広めていくつながりも日常的な活動として大切です。さいごは「種を介した幅広いネットワークづくり」です。福島での震災・津波で流されてしまった地域で、沖縄の人に渡していたことで、その種が戻ってきたという話があります。こういった地域を越えたネットワークづくりも継承には重要なことだといえます。
■■第2部セミナー「在来種と在来品種」
第2部では「作物」にとどまらず「在来種・在来植物」(江戸以前)、「郷土種・自生種」、「固有種」といったより広い「植物」の次元からお話がありました。
わたしたちが栽培している作物は、もともと自然界にあった植物に人の手が加わるなかで変化してきたものです。その「人の手」の関わり方からお話がはじまりました。
〇種と人との関係
一枚の、切り株の残る畑の写真。土地を開墾し、稲を生育できない環境下で「モチビエ」と称して、元来粘りがないヒエのなかでも少しでも粘りがあるヒエを代々育種してきた古老の話が紹介されました。「こういった人が現在は絶滅危惧種だ」「こういう人がなくなったら、日本の財産は半分以上なくなる」とおっしゃる伊藤さんの話から、「種と人との関係」をもう一度見つめ直さなければと思った次第です。
さて、1960年(昭和30年)代に転機がありました。「在来種」にとっての転機です。
「エネルギー革命」の結果として里山がなくなったことが原因だといいます。それ以前はたくさんの作物が育てられていたわけですが、農水省統計資料「主要作物の栽培面積の推移」からも明らかなように、1960年から1970年代後半にかけて、畑作物・麦類の栽培が急速に減少しました。こういう状況下で「在来種」を考えなければならないわけです。
たとえば、カタクリ、オドリコソウ、マツタケなどは野生よりも人間が管理する場所でよく生える植物があるという事実があります。したがって、里山の維持管理と在来種の問題は切っても切れない仲といえます。
〇在来「種」とは
「史前帰化植物」といわれる植物がたくさんあります。イネとともに中国から来たもの、ムギとともに中国から来たもの、それ以外のものと大きく3つのグループがあるのですが、それらが「在来種」(のひとつ)なのだそうです。「中国から来ている」が歴史以前なので「在来種」となります。「帰化種」「侵入種」と呼ばれるものは概ね明治以降に入ってきたものです。たとえばヤセウツボや河川敷の雑草アレチウリは「帰化植物」ですが、それらが嫌われるのは「在来種/在来植物」を追い出してしまうからです。典型例がタカサゴユリで、繁殖力が強く、在来のユリを負かす病気の媒介となるのだそうです(孟宗竹と真竹の関係も同じです)。
第1部とうって変わって「作物」以外の植物の世界の話ですが、こういった「作物」の周囲の生態系の在来種問題にまで目をやらねば理解できないのだなと蒙を啓かれました。
〇丹波黒大豆という「悪いもの」
作物という点でいうと、黒豆は非常に手間のかかる作物です。たとえば栽培の途中で倒れないように杭打ちが必要です。元来植物には倒伏防止の要件が入るわけですが、丹波の黒大豆はそうではない。伊藤さんは「あんな手間のかかるものを後生大事に育てて」と冗談めいておっしゃいましたが、「在来作物」を残していく上で「コンセプトをハッキリさせる」ことが重要だという指摘がなされました。これは「良いものを残す」こととは別だといいます。ハッキリ言えば「悪くたって良い」ということです。その上で黒大豆でいえば「10月10日以降にしか解禁しない」など文化づくりのためのルール整備もきわめて重要な活動だとのことです。これは第1部とも共通した問題提起でした。
■■里山の維持――在来植物を帰化植物から守る
フロアからの質問で「里山の維持の重要性は理解できたけれど、具体的に可能なのでしょうか?」という質問がありました。在来植物を残すためには、人間や家畜の介入がある程度必要になります。江戸時代のような守り方はできないが10分の1でも維持すれば植物は守れるとの回答でした。
伊藤さん曰く、「里山の維持管理はそれほど難しくない」。
「ため池」「畑」「田んぼ」「雑木林」という4要素を「それぞれちょっとずつ維持する」。そうすることによってモザイクが成立する。「雑木林だけ整備する」のではなくて、田んぼで稲をつくることも大切だし、畑で大豆をつくることも大事、10年に1度程度ため池の掃除をする、こういった組み合わせが生活圏にあれば、それがすなわち里山の維持となる――ここには都市部の人が来て整備に関わることも可能。「里山」というと広大な土地を想像しがちですが、生活空間それ自体が里山だという認識だとおっしゃっていました。
〇時間がつくる種
おふたりの話を、フロアでの対話を、「在来」というのは「時間がつくる種」なのだなと思って聴いていました。人の手が入り、気候風土に適した姿に変化していくもの。しかもその「風土」も人の手が加わるなかで変化していくものですよね。風土をつくり、作物をつくることが次の〈種〉を育てるのだなあと、多量な情報の講演に気圧されながら感じ入る夜でした。
なお、参加者が解散したのが23時手前という熱い夜なのでした。
野口陽平